与党による教育基本法改正の動きあり、再び愛国心論議の高まりつつある中、議論がまたも振出からになってしまわないための、メモ。
「確かに偏狭な国家主義(またはナショナリズム)はダメだが…」、と言うことによってあたかも純粋に健全な国家主義(またはナショナリズム)が実在するかのような言い方をする奴がいる。
何度も言うが、ナショナリズムは良くも悪くもナショナリズムである。それ以上でも以下でもない。
また一方では、「ナショナリズムはダメだが、パトリオティズムはイイのだ」という向きも最近見られる。
こうした混乱も、
その原因は「愛国心」という語の曖昧さにある。
ナショナリズムnationalismとは、語義を優先させれば(nationとは第一義的には国民なので)正しくは
国民主義である。
だから当然これは近代以後にのみ可能な思考だ。(←この意味が分からなければあなたはもっと
勉強しなきゃならん)
ナショナリズムがダメだと言いたくなるのは、最も想起されやすい国家主義という訳が背負っている歴史性だろう。
パトリオティズムpatriotism(音的にはペイトリオティズムのほうが近い)とは、これも語義から言えばpatri、すなわち
「郷土、ふるさと」に対する愛情と言える。
藤原正彦はこれは「祖国愛」とするが、
パトリオティズムという語自体にその対象範囲を国土に限定する必然性がないと思われるので、訳として「国」の字の使用は避けねばならないと私は思っている。
「愛郷心」が最も適切だろう。
大体数学者が片手間に国家について書いた本をありがたがる民度を疑う。
パトリオティズムが、その意味において「祖国愛」へと国民国家の範囲に拡大、スライドして何の疑いを持たれないこと自体が、その国家が近代化を遂げたことの証左である。このプロセスはナショナリズムの勃興、またはその介在無くしてはありえず、
国民化などと言われる。
大方の素朴な方々は、このパトリオティズムや愛郷心の意味や感覚でもって、無邪気に「愛国心」と使ってしまう。
それゆえ「私の言う愛国心は国家主義(ナショナリズム)ではない!」となるのだ。
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。(教育基本法改正案より)
「我が国と郷土を愛する」ネ〜〜。
自称愛国者の皆さんに注意申し上げたいのは、「郷土を愛する」の部分ですでにパトリオティズムについては十分書かれている。
とすれば
「我が国」とは何なのかをお考え頂きたい。
既出なので少なくとも郷土、ふるさとの意味ではない。では国家のことなのか、あるいは政府のことなのか、または国体のことなのか。
上のいずれかなのであれば、なぜ明確に書かないのか。法律なのに。
私は、これこそ各人の多様なパトリへの感情やエネルギーを、政治権力へと一元的にスライドさせるためのレトリック、そういうレトリックとして機能してしまう危険性があるんだと言いたい。
それほど「国(クニ)」は取り扱い注意の語なのです。参照
パトリオティズムとナショナリズムの愛国心1:人類の集団社会の歴史的変遷我が「愛国論」と、そのベースとしての「民族論」
posted by 日本海式エビ固め at 00:52| 天津 |
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