2005年10月06日

レトリカルにロジカルに愛国心

ナショナリズムや愛国心を論じる際、偏狭な、偏った、歪んだ、扇動された、排外的な、それはダメで、そうではない類の健全な、純粋な、正しい、正常な、普通の国のそれはよいのだ!、なんていうレトリックってよく見かけますね。

例えばこんな感じ(手近なところで再び宮城スタジアムに響いた「君が代」の大合唱から引いてみましょう)。
試合開始以前に、私は宮城スタジアムに詰めかけた若いであろう人々の健全な気持ちに感動したのです。
日教組が、あれほど学校で国歌斉唱・国旗掲揚に反対して醜い活動を繰り広げてきたにもかかわらず、闘いの場に臨む日本選手に「君が代」を歌って声援を送っている若者達、サポーター。
この場面を日教組の面々はどう見ていたのでしょうねえ。
 「君が代」は皇国思想を強調するだの、軍国主義に引き戻す危険性があるだのとノタマワッテおいでだったが、この光景はそれに似て非なるものではないか?
と言って、韓国のように偏狭なナショナリズムに没頭している訳でもない。
やはり、オリンピックやこのような競技において聞く「君が代」は、純粋な愛国心に通じる感情を呼び覚ましてくれるものでしょう。
前者はダメで、後者はよろしい、と直接には述べられてませんが、軍国主義や韓国のよろしくない例を出し、それと対比する形で我が健全な愛国心のよさを際立たせる、おなじみのレトリックがよく出ている例でしょう。

んで、同じような問題関心を持っている方がいました。これを批判する形で持論を展開しましょう。
「健全なナショナリズム・偏狭なナショナリズム」という二分法がある。こういうことを言う人はたいていナショナリズム(しかも、我が国のナショナリズムのみを!彼らは、中韓朝あたりのナショナリズムには、いたって好意的である)を否定する人たちであり、為にする議論、という面が強い。健全なナショナリズムについての真剣な模索などはなく、ただナショナリズムを鼓吹する人たちの議論を偏狭と決め付けたいだけである。
この二分法は、ナショナリズム肯定派、否定派を問わず広く見られると思う。まあそれはよい。

えーと、何でもそうだと思うんですが、「健全な」とか「偏狭な」とかいった、それ自体にプラス(よい)の価値、マイナス(悪い)の価値を帯びたような修飾語を使っちゃうと、その後に続く「ナショナリズム」という語に対する価値判断を、自動的に既にとっていることになるわけでして。それを再度いいとか悪いとか言っても意味ないでしょ。「よい……はよい」「悪い……は悪い」と言っているのと同じ。トートロジーだ。

もっと正確に言うと、初めから価値判断をしているから、「健全な」とか「偏狭な」とかいう言葉を、価値判断するところのものの前につけるのだ。
要は、ある国のナショナリズムを否定したい場合には、それの前に「偏狭な」とつけ、逆に肯定したい場合には「健全な」とつけているに過ぎない

例えば、公共事業には必要な公共事業もある、などと族議員などが言い逃れようとする時、じゃあそれが必要かどうかの基準は誰基準で言ってるのかというと、当の族議員自身の自己保身のための基準で必要かどうかが既に決まっているのと同じで、「健全な」「偏狭な」という区別も、その基準は客観的な条件から導出されるのではなく、往々にして判断を下すところの当の本人の政治的に好みに由来する

次いで永岡氏は以下のように言う。(ここからが永岡氏の本旨で、上のは一般的な言説への批判ですのであしからず)
私に言わせれば、対立は「歪んだ愛国心(というより愛国心の欠如) vs. まっとうな愛国心」の間にある。そして私自身はもちろん、まっとうな愛国心の持ち主でありたいと思っている。
一般的な区分「偏狭なナショナリズムvs.健全なナショナリズム」ではなく、「歪んだ愛国心(というより愛国心の欠如) vs. まっとうな愛国心」が本当の対立だと言うわけだ。

これは、ナショナリズムと愛国心とを混同していることを無視するとすれば、とりあえずのところ条件付で同意してもよい。言葉の次元では理解はできる。
条件とは、「歪んだ」と「まっとうな」とを分ける基準は何か。あるいは何をもって愛国心と認定するか。これの提示だ。これがきちんと示されない限り、何も言ってないのと同じではないか?
排外や理不尽な差別や国粋は「偏狭な」「歪んだ」それであって、とても「まっとうな愛国心」とは言えないのだとすれば、実際上の「まっとうな愛国心」の用件が不可欠ですよね。

言いたいこと。ナショナリズムはナショナリズムである。それ自体としてはいいも悪いもない。ただ現象としては、よい現象も発生させるだろうし悪い現象も発生させるだろう。「健全なナショナリズム」からはよい現象だけが、「偏狭なナショナリズム」からは悪い現象だけが生み出されるわけではないのだ。

ただ「ナショナリズム」だけがあるのだ

参照 カテゴリ考(ナショナリズム関係あります)
posted by 日本海式エビ固め at 22:43| 天津 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やあ、エビさん、待ってたよ!
 だが、私が知りたいと欲する所とチト違うんでして・・・。これはこれとして勉強させてもらうけど。
 なるほど、Nationalismという言語自体は透明なんだね。だから、主体から見る場合と客体から見る場合で評価が分かれる。日本にとって、韓国の日本叩きにのみ終始すると感じられるNarionalismは不快に感じる。それで「偏狭な」と称した。まあ、この議論はさておき、で、Nationalismって比較的新しい言語で、時代、地域によって内容が異なってますよね?まあ、「民族主義」ってくくってしまうには何だかねえって感じだし、「愛国主義」なんて言葉も突出して聞こえるし・・・。
 そこで、今現在問題としている中・韓のNationalismについて。これって、貴方はどのような位置づけで認識しているだろうか?それともそんなものはNationalismではないのかな?過去の時代のNationalismは規定しやすいけれど、現代、つまり時間のまっただ中にいると分かりづらいと思う。渦中にいると歴史って見えないものだから。で、これから50年でも経つと、2005年頃のNationalismはどうだったと言えるだろうけど。
だから、学者も含めかなりアバウトに使っているのかなあ??
 次に、もともとが「愛国心」とNationalismの違いからエビさんと私との齟齬が生じていると思ってましたのでその点を少し教えて頂きたい。「餅は餅屋に」
 この「愛国心」なる言葉は極めて定義が曖昧なまま使われているでしょう?ある時は愛国心=Nationalismだし、(数学的に表現すると)集合「愛国心」は集合「Nationalism」に含まれる。あるいは、逆のように表現することも可能だろうし・・・。この愛国心とNationalismとの関係についての私見をお聞かせ願えれば有り難く思います。
辞書的には
nationalism : 1. strong devotion to one's own nation ;patoriotic feelings, efforts, principles.
2. movement for political (economic, etc.) independence (in a country controlled by another).
なあんだか、分かったような分からない表現ですよ。宜しくお願いしますm(_ _)m
Posted by Bach at 2005年10月07日 18:51
TBありがとうございます。
興味深く読ませて頂きました。

しかしながら「ただナショナリズムがある」というの
私にはある種の思考停止であるように思われます。

>排外や理不尽な差別や国粋は「偏狭な」「歪んだ」それであって、とても「まっとうな愛国心」とは言えないのだとすれば、実際上の「まっとうな愛国心」の用件が不可欠ですよね。

これについて、ある本(マイネッケのドイツの悲劇でしたっけ)に
かかれていた言葉が端的に「まっとうではない」愛国心を描き出してます。

「他の国民がそれを行うときには恥ずべき非人間的行為と呼ぶものを、
 他の国民にはそれを加えよと、舌の根が乾かぬうちに自国民に勧めるのである」

健全なナショナリズムなるものもこれをみれば
どのような物であるかは明らかでしょう。
「自国民に勧めるのと同様に他の国民にもこれを行うように勧める」
それが健全なナショナリズムのあり方という物です。

まあ、端的に言えば、「健全」とか
「歪み」とか「偏狭」の方が主体であり
それにナショナリズムが結びつくのであって
その逆ではないということです。

偏狭な精神の持ち主は、ナショナリズムが使えなければ
また別な道具を見つけ出すだけの話ですし
健全な精神の持ち主もまた同様でしょうから。
Posted by ウィリー at 2005年10月07日 19:20
Bachさん

ご質問の点は「斜に構えて愛国心」でほとんど書いてます。
愛国心は定義不能、ヌエのようなものだと思ってます。非国民とか人権とかの使われ方と同じで。
ナショナリズムは「国民」に重心があり、愛国心はその「クニ」が「国(クニ)」とも「郷(クニ)」とも取れる。この二つが同居しているからこそ「郷土を愛することが国家を愛することにつながる」とかいう矛盾した理路を言いたがりますね。

>中・韓のNationalismについて
いわゆる「反日」のことですね。私は我が日本のメディア自体を信用していないので、これらの国が反日で染まっているとは捉えません。むしろ日本の体制自体が、中国や朝鮮の「狂信的反日」を要請かつ利用している側面「すら」あると思ってます。
ただデモの映像等々を解釈すれば、アレもお祭り的雰囲気を醸し出してますね。お祭りに乗りたいだけで、反日はネタ。人民レベルには政治性は薄いかと。

答えきれてない部分は再度ご指摘下さい。
Posted by エビ at 2005年10月07日 21:30
ウィリーさん
>しかしながら「ただナショナリズムがある」というの私にはある種の思考停止であるように思われます。

付記すると、「健全なナショナリズム」や「偏狭な」それが初めからどこかに存在しているかのような言説をあまりにもみかけるので、そうではなく、社会的な福祉に貢献する一方、同時に狂気や暴走や破滅の可能性を秘めた「ただのナショナリズム」だけがあって、端的に言えばそれをいかに国民がコントロールするのかにかかっている、という意味でこう書きました。

>「自国民に勧めるのと同様に他の国民にもこれを行うように勧める」
ん〜、どうですかねー。私はナショナリズムは国内で自閉した運動だと思いますよ。他国に様々に働きかけるところまでナショナリズムと言えるかどうか…。
Posted by エビ at 2005年10月07日 21:56
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/7801588

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。