2005年09月25日

二人で語った愛国心

誰でも語れる愛国心に貴重なコメントを頂いたので紹介する。
地球上の人間が皆愛国心なしで生活出来る時代がくるのが理想と思うが、まず不可能だろう。外国に行くのにまず国籍がないと入国させてくれない、日本国がきらいだからといって米国人、にも中国人にもしてもらえるわけがない。個人の誕生は自分の意思に関係なく親も国も選択することができない。必然的な関係を、愛する心を持つて接すること、に疑問をもつ人間がいるのが不思議だ。
Posted by 十河正昭 at 2005年09月16日 10:50
これについて私はこう反駁した。
個人を国家の成員として、すなわち各々の国家が国民として認証するというシステムは、(近代的な)国家形態の変容そのものによって要請されたことである。個人を国家の成員として把握しようとする、あるいはそうせざるを得ない観点そのものが歴史的だということ。

これは論理的な話だが、関係が真に必然的なならば、敢えて愛する必要はないわけで。当然愛国心を呼びかける、なんて面倒な作業は必要ないわけです(笑。
Posted by エビ at 2005年09月16日 23:46
どうやら十河氏は、私エビが愛国心を地上から駆逐するという理想を追求している人間、そして日本が嫌いな人間だと読んだらしい。

いったいどこをどう読めばそう捉えられるのか?愛国心という語の使い方自体への注意点や、私個人としてはその言葉は不便なので使わないとは確かに書いたが。

だいたい、国籍は愛国心の有無と関係あるのかしら。親や国については、私は自尊心が強いせいか、必然性よりも入れ替え可能性(このようでもあり得たし、あのようでもあり得た)をより強く感じるのだが。主体的に自ら選び直してこその愛着であろう。…なんだかサルトル臭いな
posted by 日本海式エビ固め at 22:36| 天津 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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