2005年04月29日

〈我々〉に回収され尽くすB

内容は日記ではないですが、日記的にアップします。

「ありがとう」とは、通常「私に〜〜をしてくれてありがとう」というふうに、当方にもたらされる何らかの(利益になるような)行為において、相手のとるその行為自体が(普通は善意の)意図的・意識的だと認められる場合に用いられるのではないか? 

ここで論じたいのは、言葉の正しい使い方などではない。

近頃とみに人口に膾炙したこの手の言説で、〈我々〉は一体何を社会的に欲望し、さらにはそうした欲望を成就することによって社会的コミュニケーションにとって一体何が変化するのか、だ。それを端的に論じたい。


>マダム
>この部分に至るまでの想像力が見る側にあるから感動もし、経験はなくてもとても良いものを見せてもらったと素直に思えて「ありがとう」になるのだと思う。

まず先に素人が可能な想像力の限界を認識すべしと言いたいところだが、それはこの際よい。ここでの問題に則して言えば、なぜ「ありがとう」なのかというところ。スゴイとかスバラシイとかではなく、「ありがとう」と口を突いて出てしまう〈我々〉の語彙や、それに特に違和感を感じないメンタリティ。なぜそうなのか、なぜそうなったのか、だ。
posted by 日本海式エビ固め at 12:30| 天津 | Comment(5) | TrackBack(0) | 雑考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
苦手なのに何故エビちゃんが好きかと言うと律儀さなのかなぁ(独り言)
しかしわざわざ簡単な言葉も難しく言うところは相変わらずで、それでもきっとわらわレベルに一応合わせて易しく伝えようとはしてくれているんだろうなぁ。今後もっと易しく言ってちょんまげ(要望)

「ありがとう」にそんなに違和感感じる?
相手がこちらに何らかの利益になる行為などを意図的、意識的にかつ具体的に形になっていなくてもこの言葉は成り立つのではないのかと。

例えばですがご奉仕などに出向く場合、当然のように相手側からの「感謝の意」が伝えられますよね。人にもよりますがそれを「当然」と受け取る人も「やってあげてる」という意識の人も多くいるでしょう。しかーし思うに本来ご奉仕とはそうではなく、むしろ自分の行為がお役に立てて嬉しいとかこのように思えた事をこちら側が感謝したいと思える事がとても大切であるというのに似ていると思うのです。

選手達が画面などを通じて活躍したりあるいは悔しさに涙したりする。それによって拙い想像力であっても形にはないが精神的に「何か」を受け止め感動する。だからこそそのような気持ちにさせてくれて「ありがとう」となるのではないの?

まぁ「ありがとう」のキャッチコピーはCMとかにでもどんどん流して浸透させた点もあるかと思うがそこに多くの共感を得るという事実があるからこそ特に違和感感じないまま使われているんじゃないのかな?

ただ、違和感と言うのではないけれど乏しい想像力で軽々しく「ありがとう」「よくやった」とか「がんばれ」と熱くなるのは時として何だかなぁという感情が沸いてしまうのは多々ある。
それはたまたま自分自身ではなくてもアスリートが日常の中でいかに苦しみ努力を重ね壁にぶつかっているのかを少しでも垣間見てるとネットの応援サイトや専門誌などで感情的な発言見るとそう思う。
でもエビちゃんが言っているのはそういう事じゃないんだよね。なんだかわかんなくなってきたなり。
Posted by マダム at 2005年04月30日 11:58
正直、奉仕精神の件で何がおっしゃりたいのかいまいちつかめなかったのですが。

「私に〜〜をしてくれてありがとう」というふうに、「ありがとう」は相手の意識的な善意に対する感謝の意だよね。もちろん相手に明確な善意がないような時でも敢えて使うことはあるが、それは相手の行為を善意の共同性のうちに処理したいという、要するに見かけ上善意の行為だという想定にしちゃうことによって仲間内であることを逐一確認する、そういうコミュニケーション上の確認作業だと思うわけ。何で他人がそんなことをしたのかが不透明な状況よりは、分かりやすい枠組みがあったほうがお互い色々スムーズだというわけだ。

意図的・意識的ではなくても成り立つという、私への反証として、奉仕の話が読み取れないので、もう少し言葉を費やして頂たいですー。
Posted by エビ at 2005年05月01日 13:22
もしかしてこういうことですか?

奉仕は誰から頼まれるのでなく飽くまで自発的な行為であり、むしろ有体に言えば社会的な自己満足に力点を置く。そうした奉仕行為に対しても「ありがとう」は使われてるじゃないか?ということ?

Posted by エビ at 2005年05月01日 13:38
>奉仕は誰から頼まれるのでなく飽くまで自発的な行為であり

うん、そういうことがまず基本であると思う。ただしエビちゃんはすぐにそこが「自己満足」ってなるんでしょ?

ご奉仕の件を出したのはね、必ずしも出向く側が「自主的にさせていただいただけのこと」だけではなく、かといって「相手側が喜んでいただけたことで気分を良くさせていただけた」だけでもなく、何かのお役に立てるのかもと出向いて(傲慢かも)も、むしろそこの場で学ぶべきことや教えられることは多々あり、結果こちらの方が本当に出向いてよかったと思うことに良く似ているっていうことを言いたかったのさ。
だからそこに相手側に意図的や意識的にもたらす具体的なものがなくても「ありがとう」となる気持ちは違和感どころかむしろ自然発生的な気がするんだけど。

特に反証というよりも「私は違和感感じないわよ〜」に近いんだけど、エビちゃん的な「自己満足」という言葉で片付けられちゃうと「あ〜あ」って感じ。
Posted by マダム at 2005年05月02日 07:38
奉仕にしても何にしても、わざわざそこに出向き何らかの目的を持って作業をするのだし、まあ団体で奉仕活動する場合(草むしりとか)なんかだと分かりやすいけど、してもらった方からすると全体として見るから、この人たちは善意の意図を持ってやってくれてるんだなって明らかに認められると思うんですけど。個人個人のの自発性や奉仕精神的な差異はあまり関係ないかなと。

自己満足云々は本論と関係なく、私の個人的な奉仕観が如実に現れてしまっただけですので、その点お含み置き下さい。
Posted by エビ at 2005年05月02日 16:34
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