2006年01月02日

新しくない公共

いきなりですが、公共です。


公私二元論においては、当たり前ですがとりあえず「公」と「私」とは対になる概念です。
で大変迷惑なことに、数年前に小林よしのり氏が〈「公」と「個」〉というキーワードを振りまいて要らぬ混乱を招いてしまいました。

度々各所で申し上げてきましたが、言葉として「公」と対になるのは「私」、「個」や「個人」と対になるのは「集団」あたりでしょう。


何ゆえ、小林氏は「公」に「私」を対にせず、わざわざ〈「公」と「個」〉としたのか。

以下は飽くまで解釈ですが、戦後民主主義=個人主義であって、それは日本のあらゆる社会問題の元凶であり、それを指導・扇動しているのは一貫して左翼(サヨク)勢力である。そのサヨクの基本的精神であるところの個人主義、これを公共性に真っ向から対立する概念として吊るし上げ否定しまくることにより、社会からサヨク的な残滓を放逐したい。こういうことではないかと。

戦後1955年からはほぼ一貫して自民党の独裁状態だったわけですが、それでどうして左翼が叩かれるのかがよくわかりませんが、それはまあいいとして。


個人主義についてですが。象徴的には、現行憲法や教基法は、確かに「個人の尊厳」、個人主義の精神で貫かれていると言ってよいでしょう。ですが、それは左翼勢力が独自に立憲、立法したものではありませんし、むしろ当時このような考え方に最も強く反対したのは左翼勢力です

そりゃそーだ。個人主義つーのはブルジョア・イデオロギーですから

ソ連を始め、共産主義国家では教育だってもちろん集団主義教育ですから、ブルジョア的個人主義は当然徹底して否定されます。

こうした全体主義的社会においては、いわば「個」を否定し乗り越えたところに「公」があるわけ。そしてこの「公」は国家=政府が独占的に規定するわけだけど(「公」=「国家」)。


当ったり前のことなんですけど、「他人に危害を加えないかぎり、個人は何をしてもよい」(J.S.ミル)という自由主義・個人主義が、社会主義・共産主義と本質的にいかにかけ離れた考え方なのかを確認して今回は終わりです。


次回へ続く。


参照
公と個と私
小林よしのり先生とpixie酒田市民#0619の個と公
公共心と個
posted by 日本海式エビ固め at 00:40| 天津 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 公共 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あんたの言いたいことわからんわけではないが、そもそもアメリカの自由、民主というものも「左翼」である。
日本のこれまでの自民党は本当は「左翼」であり、
日本での「保守」や「左翼」「右翼」の定義が間違いであるとわたしや小林よしのり先生が言っていることをあなたはわかっていない
Posted by pixie酒田市民#0619 at 2006年01月04日 10:33
>日本での「保守」や「左翼」「右翼」の定義が間違いである

そうなの?私はその辺の学術的常識はわきまえているつもりでいるけど、小林氏とあなたの独特な捉え方がどういうものなのか、明らかでないので、左翼と右翼の要件をそれぞれ示してもらえます??もしくは「ここを見よ」という形で出してもらうか。

少なくとも自由や民主が左翼の専売特許という捉え方はマチガイだよ。もしそう思ってるならね。国際的に通用しない。
Posted by エビ at 2006年01月04日 12:08
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